脱亜論

高嶋教科書訴訟を支援する会・公式WEBサイトにかの福沢諭吉脱亜論の全文があったので,目を通してみました.

 旧い言葉で書かれていることを除けば,脱亜論の内容は単純明快です.世界が「狭くなった」今*1となっては,旧来の幕政を捨て西欧化することが日本が生き残る唯一の道であり,そのためにはアジアの一国家として振舞うのではなく,様々な手段を用いて西欧社会(≒国際社会)の一員であるということを諸外国に対して強くはっきりとアピールすべきだ(「脱亜(アジアという枠から抜け出る)」すべきだ)と説いている文章です.

 維新後,福沢諭吉の言に従い,日本は西欧社会の一員たらんとしてきました.しかし,2005年現在,世界はさらに狭くなりました.欧州のEU,北米のアメリカ合衆国,東欧のロシアに加え,アジアの中国やインドが国際社会において無視できない力を持つようになってきています.今の日本は,こうした新しい国際社会(≠西欧社会)の一員であることをアピールすべき時期に差し掛かっているように思えます.果たして,その準備は出来ているのでしょうか.先人の偉大な言葉の奥にある真意を汲み取り,前へ進もうとしているのでしょうか.

 残念ながら,昨今のニュースを聞く限り,日本政府は過去の亡霊に捕まったままのようにも見えます.私は,私の次の世代の子供たちが幸せな国で生きていけるよう,日本という国が過去の亡霊から抜け出せることを祈っています.

EDIT: 2005-06-03

日本思想史学者の平山洋氏,思想家の庄司誠氏によると,福沢諭吉が侵略的絶対主義者だという説は,彼の弟子が自説の中国大陸進出論を流布するために使った方便であるとのこと.確かに,この脱亜論と侵略的絶対主義者だというイメージは全くマッチしませんね.



福沢は「脱亜入欧」なる語を自らの思想表明のスローガンとしたことはない。これは後世の誤った福沢解釈である。


二つの福沢評価、すなわち福沢を市民的自由主義者とする見方と侵略的絶対主義者とする見方のうち、後者は石河幹明*2による『福沢諭吉伝』と昭和版「時事論集」が完結した1934年以降に新たに付け加えられた評価であったということである。

*1:原文が書かれたのは,維新から十数年が過ぎた1885年3月16日

*2:編者註:福沢諭吉の弟子の一人